携挙の恵み(私がクリスチャンとして目覚めた理由)②

私は元々から愛に敏感でした。
愛が特に欠如した人からは嫌な感じを受けます。
胸焼けがしたり、胃の所が気持ち悪くなったり、背中に悪寒や不快感が起こります。

恐らく魂のある生き物なら感じとることができると思います。
その位置が分かります。
愛、信仰心、義、罪、善悪
私はこの不思議な感覚は、これら全てに関連する識別能力だと思っています。
私が神を信じるために、聖書にある中の【霊を見わける力】の賜物を与えられたのだと思っています。
信仰心があるならばイエス様を信じることで、愛が上がり、罪から遠ざかり、善になり、義人になる。

幼子(幼児)は信仰心はあったとしても、赤ちゃんや動物は信仰心があるかどうか判断が付きません。
私の識別能力は、霊を見分ける力の中でも【愛を知る】ことに特化した感じがします。

この愛の位置が低ければ、クリスチャンでもイエス様を信じきれていないということも分かります。

実物だけでなく写真、画像、文字などにもその人の愛が入っていますので全く知らない人でも分かります。
私が聖書の神を信じれるのは、この能力による所もあります。

しかし、いくつもの聖書予言の成就、その中でも神の民のイスラエル建国は素晴らしい成就です。
まだ成就していないこれから起こりつつあることも、今の世の中に適合していることから、あなた方も信じることができるかもしれません。

口語訳聖書より
ヨハネによる福音書
15:16あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そして、あなたがたを立てた。それは、あなたがたが行って実をむすび、その実がいつまでも残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものはなんでも、父が与えて下さるためである。

口語訳聖書より
コリント人への第一の手紙
12:3そこで、あなたがたに言っておくが、神の霊によって語る者はだれも「イエスはのろわれよ」とは言わないし、また、聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」と言うことができない。

信じる者の主であるイエスキリストをあなたは、主と言うことができますか?

話しを戻しますが
様々な神といわれるモノたち、多くの人間たちを識別して改めて【聖書の神が正しい】ことが分かりました。

私のような形で信じた人は非常に稀かもしれません。

口語訳聖書より
テモテヘの第二の手紙
3:16聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。

残念なことに多くのクリスチャンの愛は、無神論者や異教徒(聖書の神以外の神といわれる者を信仰する者)と同様に落ち込んでいます。

エス様を信じたい人にとって、教会自体がつまづきになってしまっていることも合点がいきます。

幼子や赤ちゃんでも愛が違います。

赤ちゃんの方が愛がさらにあります。

善悪を判断できない人たちを除き、おそらく【クリスチャンのみ】が幼子や赤ちゃんのような愛、またはそれ以上の愛になれると思います。

このような愛の位置になると、本当に【幼子のように優しく純粋な顔】になります。

このように魂のある存在の愛はそれぞれ異なります。

口語訳聖書より
マルコによる福音書
10:15よく聞いておくがよい。だれでも幼な子のように神の国を受けいれる者でなければ、そこにはいることは決してできない」。


口語訳聖書より
コリント人への第一の手紙
13:1たといわたしが、人々の言葉や御使たちの言葉を語っても、もし愛がなければ、わたしは、やかましい鐘や騒がしい鐃鉢と同じである。

誰でも愛を知る方法があります。
【それはイエス様を信じる前と信じた(罪許された)後のあなたご自身の表情を見て下さい。
信じる前に写真を取り、信じた後にも写真を取り見比べて下さい。
優しい目、優しい表情になっていることに気づくはずです。

エス様を信じた結果、愛が回復し、罪から離れるので目が輝き表情が変わります。

元々優しめの顔立ちで二重まぶたの人は分かりにくいかもしれません。

自分勝手に生きてきた険しい顔立ちの人の方が、変化がより顕著だと思います。

しかし、少ししか信じていなければ表情はあまり変わらないと思います。

エス様を信じていても、また罪を犯すと表情がキツくなります。

祈らず、罪をそのままにし、罪を重ねれば目もだんだんと愛から離れたギロっとした表情になっていきます。】
このことは私の体験を通して書きました。


口語訳聖書より
マタイによる福音書
6:22目はからだのあかりである。だから、あなたの目が澄んでおれば、全身も明るいだろう。 6:23しかし、あなたの目が悪ければ、全身も暗いだろう。だから、もしあなたの内なる光が暗ければ、その暗さは、どんなであろう。

※補足※
例外があり、顔が優しく振る舞いが良く、善人にしか見えない人たちもいる。

口語訳聖書より
マタイによる福音書
7:15にせ預言者を警戒せよ。彼らは、羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、その内側は強欲なおおかみである。

携挙の恵み(私がクリスチャンとして目覚めた理由)①

私は、携挙の恵みを受けるためには、真実の神の子であり、私たちの主であるイエス様を信じ、受け入れることがまず必要だと思っています。

あなた方が本当にイエス様を信じたならば、あなた方の中に聖霊様が与えられます。
エス様を本当に信じるということは、三位一体(父、子、御霊)の神を愛するということです。

サタンが支配するこの世(肉欲、偶像崇拝)を愛してはいけません。

神を愛するということは、人間を愛していかなければなりません。

私は神を信じるゆえに、愛する力が与えられ、御心に叶う行いができるようになると信じています。

日々苦しくて、どうしようもなくて、死にたくなる時もあると思います。

私も以前はそうでした。
聖書の神以外の、様々な神といわれる存在を信じたけど何も変わらなくて、無力で、健康状態が思わしくなくて、ずっと貧乏で、何事もうまくいかなくて、人間には裏切られ、心は悲鳴をあげていました。

、、、、、、、、、、、、、もう限界でした。

「神も仏もない」と思いました。

しかし、心の奥の方には僅かながら神を求めていました。
そんな時にあるクリスチャンのブログで、自殺したら死後どうなるかということについて、この方が執筆した電子書籍について紹介していました。
ちょうど期間限定で無料でしたので読みました。

【さ迷い死んでいた魂、飢え渇いていた魂】が生き返りました。

この書籍の中で死んだら無になる、生まれ変わる、全員天国に行くことは書かれていませんでした。
本当の神の教えは人間に都合の良い死後ではないのです。

聖書では、全ての人間は神の最後の審判を受けて、天国か地獄のいずれかに行くことに関することが書かれています。

口語訳聖書より
ヘブル人への手紙
9:27そして、一度だけ死ぬことと、死んだ後さばきを受けることとが、人間に定まっているように、

口語訳聖書より
ヨハネの黙示録
20:12また、死んでいた者が、大いなる者も小さき者も共に、御座の前に立っているのが見えた。かずかずの書物が開かれたが、もう一つの書物が開かれた。これはいのちの書であった。死人はそのしわざに応じ、この書物に書かれていることにしたがって、さばかれた。 20:13海はその中にいる死人を出し、死も黄泉もその中にいる死人を出し、そして、おのおのそのしわざに応じて、さばきを受けた。 20:14それから、死も黄泉も火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である。 20:15このいのちの書に名がしるされていない者はみな、火の池に投げ込まれた。

人間には人間の法律があり裁判官がいます。
最高裁判所長官により法律に基づき裁きを受けます。
最後の審判の時、神が最高裁判長なのです。
神がお決めになった通りに私たち全てを正しく裁かれるのです。

聖書の神は、人間の【自由意思】を尊重されるお方なので、イエスキリストを信じるかどうかで天国行きか、地獄行きかを決定します。

私たちは信じても信じなくても思いのままです。

ただそれが何を意味するかは知っておいて下さい。

後悔しないためです。

私たち全ての人間は、数えきれない程罪を犯しています。
エスキリストを信じない者は、自分ではどんな良い事をしても罪を消せないから天国に行けないのです。
徳を積んでも罪は消せません。

さらに追い討ちをかけるように、信じない者は既に裁かれています。

口語訳聖書より
ヨハネによる福音書
3:18彼を信じる者は、さばかれない。信じない者は、すでにさばかれている。神のひとり子の名を信じることをしないからである。

御子(イエスキリスト)を信じる者は、隠そうとせず、罪の許しを願い求めることにより、罪許されます。

今こそ私たちは神との交わりの中で生きる必要があります。

本来そのように生きるように私たちは創られているのです。

私は、進化論はサタン(堕天使長)や悪霊(堕天使)共による惑わしだと思っています。

神を忘れさせるように、神に向かわせないように、滅びに至るようにし向けているように思えるのです。

大艱難直前の光景

口語訳聖書より
マタイによる福音書
24:37人の子の現れるのも、ちょうどノアの時のようであろう。 24:38すなわち、洪水の出る前、ノアが箱舟にはいる日まで、人々は食い、飲み、めとり、とつぎなどしていた。 24:39そして洪水が襲ってきて、いっさいのものをさらって行くまで、彼らは気がつかなかった。人の子の現れるのも、そのようであろう。 24:40そのとき、ふたりの者が畑にいると、ひとりは取り去られ、ひとりは取り残されるであろう。 24:41ふたりの女がうすをひいていると、ひとりは取り去られ、ひとりは残されるであろう。 24:42だから、目をさましていなさい。いつの日にあなたがたの主がこられるのか、あなたがたには、わからないからである。 24:43このことをわきまえているがよい。家の主人は、盗賊がいつごろ来るかわかっているなら、目をさましていて、自分の家に押し入ることを許さないであろう。 24:44だから、あなたがたも用意をしていなさい。思いがけない時に人の子が来るからである。 24:45主人がその家の僕たちの上に立てて、時に応じて食物をそなえさせる忠実な思慮深い僕は、いったい、だれであろう。 24:46主人が帰ってきたとき、そのようにつとめているのを見られる僕は、さいわいである。 24:47よく言っておくが、主人は彼を立てて自分の全財産を管理させるであろう。 24:48もしそれが悪い僕であって、自分の主人は帰りがおそいと心の中で思い、 24:49その僕仲間をたたきはじめ、また酒飲み仲間と一緒に食べたり飲んだりしているなら、 24:50その僕の主人は思いがけない日、気がつかない時に帰ってきて、 24:51彼を厳罰に処し、偽善者たちと同じ目にあわせるであろう。彼はそこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう。

正しい者と悪しき者

口語訳聖書より
詩篇
1:1悪しき者のはかりごとに歩まず、
罪びとの道に立たず、
あざける者の座にすわらぬ人はさいわいである。
1:2このような人は主のおきてをよろこび、
昼も夜もそのおきてを思う。
1:3このような人は流れのほとりに植えられた木の
時が来ると実を結び、
その葉もしぼまないように、
そのなすところは皆栄える。
1:4悪しき者はそうでない、
風の吹き去るもみがらのようだ。
1:5それゆえ、悪しき者はさばきに耐えない。
罪びとは正しい者のつどいに立つことができない。
1:6主は正しい者の道を知られる。
しかし、悪しき者の道は滅びる。

神の義

口語訳聖書より
ローマ人への手紙
3:21しかし今や、神の義が、律法とは別に、しかも律法と預言者とによってあかしされて、現された。 3:22それは、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、すべて信じる人に与えられるものである。そこにはなんらの差別もない。 3:23すなわち、すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており、 3:24彼らは、価なしに、神の恵みにより、キリスト・イエスによるあがないによって義とされるのである。 3:25神はこのキリストを立てて、その血による、信仰をもって受くべきあがないの供え物とされた。それは神の義を示すためであった。すなわち、今までに犯された罪を、神は忍耐をもって見のがしておられたが、 3:26それは、今の時に、神の義を示すためであった。こうして、神みずからが義となり、さらに、イエスを信じる者を義とされるのである。 3:27すると、どこにわたしたちの誇があるのか。全くない。なんの法則によってか。行いの法則によってか。そうではなく、信仰の法則によってである。 3:28わたしたちは、こう思う。人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく、信仰によるのである。 3:29それとも、神はユダヤ人だけの神であろうか。また、異邦人の神であるのではないか。確かに、異邦人の神でもある。 3:30まことに、神は唯一であって、割礼のある者を信仰によって義とし、また、無割礼の者をも信仰のゆえに義とされるのである。 3:31すると、信仰のゆえに、わたしたちは律法を無効にするのであるか。断じてそうではない。かえって、それによって律法を確立するのである。

神の怒り②

口語訳聖書より
ローマ人への手紙
2:1だから、ああ、すべて人をさばく者よ。あなたには弁解の余地がない。あなたは、他人をさばくことによって、自分自身を罪に定めている。さばくあなたも、同じことを行っているからである。 2:2わたしたちは、神のさばきが、このような事を行う者どもの上に正しく下ることを、知っている。 2:3ああ、このような事を行う者どもをさばきながら、しかも自ら同じことを行う人よ。あなたは、神のさばきをのがれうると思うのか。 2:4それとも、神の慈愛があなたを悔改めに導くことも知らないで、その慈愛と忍耐と寛容との富を軽んじるのか。 2:5あなたのかたくなな、悔改めのない心のゆえに、あなたは、神の正しいさばきの現れる怒りの日のために神の怒りを、自分の身に積んでいるのである。 2:6神は、おのおのに、そのわざにしたがって報いられる。 2:7すなわち、一方では、耐え忍んで善を行って、光栄とほまれと朽ちぬものとを求める人に、永遠のいのちが与えられ、 2:8他方では、党派心をいだき、真理に従わないで不義に従う人に、怒りと激しい憤りとが加えられる。 2:9悪を行うすべての人には、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、患難と苦悩とが与えられ、 2:10善を行うすべての人には、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、光栄とほまれと平安とが与えられる。 2:11なぜなら、神には、かたより見ることがないからである。
2:12そのわけは、律法なしに罪を犯した者は、また律法なしに滅び、律法のもとで罪を犯した者は、律法によってさばかれる。 2:13なぜなら、律法を聞く者が、神の前に義なるものではなく、律法を行う者が、義とされるからである。 2:14すなわち、律法を持たない異邦人が、自然のままで、律法の命じる事を行うなら、たとい律法を持たなくても、彼らにとっては自分自身が律法なのである。 2:15彼らは律法の要求がその心にしるされていることを現し、そのことを彼らの良心も共にあかしをして、その判断が互にあるいは訴え、あるいは弁明し合うのである。 2:16そして、これらのことは、わたしの福音によれば、神がキリスト・イエスによって人々の隠れた事がらをさばかれるその日に、明らかにされるであろう。

神の怒り①

口語訳聖書より
ローマ人への手紙
1:18神の怒りは、不義をもって真理をはばもうとする人間のあらゆる不信心と不義とに対して、天から啓示される。 1:19なぜなら、神について知りうる事がらは、彼らには明らかであり、神がそれを彼らに明らかにされたのである。 1:20神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである。したがって、彼らには弁解の余地がない。 1:21なぜなら、彼らは神を知っていながら、神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからである。 1:22彼らは自ら知者と称しながら、愚かになり、 1:23不朽の神の栄光を変えて、朽ちる人間や鳥や獣や這うものの像に似せたのである。
1:24ゆえに、神は、彼らが心の欲情にかられ、自分のからだを互にはずかしめて、汚すままに任せられた。 1:25彼らは神の真理を変えて虚偽とし、創造者の代りに被造物を拝み、これに仕えたのである。創造者こそ永遠にほむべきものである、アァメン。
1:26それゆえ、神は彼らを恥ずべき情欲に任せられた。すなわち、彼らの中の女は、その自然の関係を不自然なものに代え、 1:27男もまた同じように女との自然の関係を捨てて、互にその情欲の炎を燃やし、男は男に対して恥ずべきことをなし、そしてその乱行の当然の報いを、身に受けたのである。
1:28そして、彼らは神を認めることを正しいとしなかったので、神は彼らを正しからぬ思いにわたし、なすべからざる事をなすに任せられた。 1:29すなわち、彼らは、あらゆる不義と悪と貪欲と悪意とにあふれ、ねたみと殺意と争いと詐欺と悪念とに満ち、また、ざん言する者、 1:30そしる者、神を憎む者、不遜な者、高慢な者、大言壮語する者、悪事をたくらむ者、親に逆らう者となり、 1:31無知、不誠実、無情、無慈悲な者となっている。 1:32彼らは、こうした事を行う者どもが死に価するという神の定めをよく知りながら、自らそれを行うばかりではなく、それを行う者どもを是認さえしている。