携挙の恵み(私がクリスチャンとして目覚めた理由)①

私は、携挙の恵みを受けるためには、真実の神の子であり、私たちの主であるイエス様を信じ、受け入れることがまず必要だと思っています。

あなた方が本当にイエス様を信じたならば、あなた方の中に聖霊様が与えられます。
エス様を本当に信じるということは、三位一体(父、子、御霊)の神を愛するということです。

サタンが支配するこの世(肉欲、偶像崇拝)を愛してはいけません。

神を愛するということは、人間を愛していかなければなりません。

私は神を信じるゆえに、愛する力が与えられ、御心に叶う行いができるようになると信じています。

日々苦しくて、どうしようもなくて、死にたくなる時もあると思います。

私も以前はそうでした。
聖書の神以外の、様々な神といわれる存在を信じたけど何も変わらなくて、無力で、健康状態が思わしくなくて、ずっと貧乏で、何事もうまくいかなくて、人間には裏切られ、心は悲鳴をあげていました。

、、、、、、、、、、、、、もう限界でした。

「神も仏もない」と思いました。

しかし、心の奥の方には僅かながら神を求めていました。
そんな時にあるクリスチャンのブログで、自殺したら死後どうなるかということについて、この方が執筆した電子書籍について紹介していました。
ちょうど期間限定で無料でしたので読みました。

【さ迷い死んでいた魂、飢え渇いていた魂】が生き返りました。

この書籍の中で死んだら無になる、生まれ変わる、全員天国に行くことは書かれていませんでした。
本当の神の教えは人間に都合の良い死後ではないのです。

聖書では、全ての人間は神の最後の審判を受けて、天国か地獄のいずれかに行くことに関することが書かれています。

口語訳聖書より
ヘブル人への手紙
9:27そして、一度だけ死ぬことと、死んだ後さばきを受けることとが、人間に定まっているように、

口語訳聖書より
ヨハネの黙示録
20:12また、死んでいた者が、大いなる者も小さき者も共に、御座の前に立っているのが見えた。かずかずの書物が開かれたが、もう一つの書物が開かれた。これはいのちの書であった。死人はそのしわざに応じ、この書物に書かれていることにしたがって、さばかれた。 20:13海はその中にいる死人を出し、死も黄泉もその中にいる死人を出し、そして、おのおのそのしわざに応じて、さばきを受けた。 20:14それから、死も黄泉も火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である。 20:15このいのちの書に名がしるされていない者はみな、火の池に投げ込まれた。

人間には人間の法律があり裁判官がいます。
最高裁判所長官により法律に基づき裁きを受けます。
最後の審判の時、神が最高裁判長なのです。
神がお決めになった通りに私たち全てを正しく裁かれるのです。

聖書の神は、人間の【自由意思】を尊重されるお方なので、イエスキリストを信じるかどうかで天国行きか、地獄行きかを決定します。

私たちは信じても信じなくても思いのままです。

ただそれが何を意味するかは知っておいて下さい。

後悔しないためです。

私たち全ての人間は、数えきれない程罪を犯しています。
エスキリストを信じない者は、自分ではどんな良い事をしても罪を消せないから天国に行けないのです。
徳を積んでも罪は消せません。

さらに追い討ちをかけるように、信じない者は既に裁かれています。

口語訳聖書より
ヨハネによる福音書
3:18彼を信じる者は、さばかれない。信じない者は、すでにさばかれている。神のひとり子の名を信じることをしないからである。

御子(イエスキリスト)を信じる者は、隠そうとせず、罪の許しを願い求めることにより、罪許されます。

今こそ私たちは神との交わりの中で生きる必要があります。

本来そのように生きるように私たちは創られているのです。

私は、進化論はサタン(堕天使長)や悪霊(堕天使)共による惑わしだと思っています。

神を忘れさせるように、神に向かわせないように、滅びに至るようにし向けているように思えるのです。